昨日の話

初めはほんの少しの抵抗心だった。通り過ぎる度舌打ちをされたから、全身を値踏みするように睨まれたから、聞こえるような声で陰口を叩かれたから、その全てが客に対しての態度ではなかったから、まるで女同士のそれだったから、腹を立てただけだった。何が悪いのか正直今でも理解出来ていないし、特に後悔はしていない。どっちみち殺す予定でいたし、彼から面倒臭がられるのも知っていたし、私は結局そういう奴なのだ。


三時、彼女という立場を利用して被害者面をして責任を擦り付けて泣き寝入りする、そんな彼女を改めて愚かだなと思った。惨めだなとも思った。タバコがいつもより苦い。二本しか入っていない歪んだ箱をタクシーの外に放り投げ、北叟笑んだ。一番惨めなのは私だった。


日曜日、ドン・キホーテのしょぼい美容室で伸びきった髪を切るのも、もう数滴しか残量のない香水を新たに買うのも、しょうがねぇからお前のも買ってやるよと指切りをしたくせに機嫌が悪いのを理由に自分の物しか買わないのも、足りなくなった食器用洗剤を買い足すのも、全部知っている。彼の家から目的地までの最短ルートも、そこが工事中で少し遠回りになるのも、少し天気が荒れていてそれが彼の機嫌を更に損ねるのも、全部全部全部知っているのだ。彼女よりも彼を知っているのだ。彼女よりも先に出会っているのだ。彼女よりも体を重ねているのだ。彼女よりも顔が可愛いのだ。彼女よりも仕事が出来るのだ。彼女よりも私の方が優れた人間なのだ。


不意に手首を切りたくなったが、そんな事をしても彼女が喜ぶだけだし、彼からは尚更嫌われてしまうので、床に転がっているぬいぐるみをボコボコにして、やめた。部屋の掃除をしないと、と思ったけれど、今の私には無理だった。


少し薄暗くなった外を睨んだ。紫煙が空を覆った。風が冷たい。まだまだ五月だった。